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いんふるえんざー [運動・ヘルス・ダイエット]


 
楽して生活する人をインフルエンサーと言うのだそうです。
違う気もするのですが、いちいち調べないズボラな私です。
現代の子供の憧れ職業が、ユーチューバーやEスポーツ選手だとか。
 
肉体的な疲労を極力敬遠するのは、都会人の常套的な考えと思考です。
自分の時代にも、作家やライター、役者や歌手が人気でしたね。
一昔前なら読者モデルにお笑い芸人が人気だった気がしています。
 
お題は言葉遊びなので、季節行事の予防接種です。
この時季はインフルエンザ対策ですね。
ちなみに自分は予防接種を希望・予定していません。
 
ですが今は高血圧の治療経過観察中です。
病院へは2ヵ月いちの定期健診を受けています。
今年の2月から治療が始まって、数えで早や10ヶ月ですね。
 
そんな訳で病院は高齢者の臨時サロン状態です。
地域の拠点病院では、市の指導で後期高齢者に向けて予防接種を呼び掛けています。
暇潰しや病気で重い症状が出て欲しくないから沢山応募しました。
 
定期健診に行く高齢者が多いのですが、健康な人も大量に往診しに来たのです。
自分の親も、予定を入れて接種しに来ています。
医師も看護師も事務方も休みなく動き回り、年末のアメ横状態でした。
 
町医者が居ない田舎に、土地を求めて基幹病院を作るから老人が集中して集まります。
街場の住民は、町の掛かり付け内科系病院で予防接種を受けるのでしょう。
田舎の爺婆は基幹病院へと集まり、自分のような患者は揉みくちゃになるのです。
 
大昔のように希望する患者に、問診もせずに接種したのは過去の医療行為です。
今は問診票に各質問の答えを書いて、内科医が問診してから注射するのです。
ですから時間の掛かる事。
 
何となく不調な方には、各種血液検査や検尿をして結果が出てから注射です。
検査機器が進歩して、採血から1時間くらいで問診に進めます。
良い時代なのか、混乱するだけの時代になったのか分りません。
 
今年が風邪の流行が少ない事を祈りましょう。
それに風疹も流行っていますからね。
人混みや病院には行かないようにしなくては。
 
そろそろ冬になって、マスクが義務のような時季が来ますね。
 





 


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チョー胸焼けかな? [運動・ヘルス・ダイエット]


 
昨晩から突然に胸の内側から違和感を感じたのです。
只今は血管系による高血圧の治療中です。
もしや循環器の病が勃発したのかと焦りました。
 
けれど鈍痛なので緊急性がありません。
痛みも特になく、違和感のみが蔓延している感じです。
それでも今日の昼頃には少し柔らいだから、食道炎かと考えたのです。
 
喉に込み上げるような食材の臭いを感じ取るのです。
こうした場合は胃酸過多で、しかも食道と胃の境界蓋が良く閉まっていないのでしょう。
それとも何か良く無い食材を食べたか、風邪の引き始めです。
 
毎年11月は体調不良になりやすい季節でした。
昨年は何ともなく過ごせましたが、基本的に病に至る月でした。
しかもその病がインフルエンザでもノロでも無い事です。
 
毎年のように恐れてビクビクしています。
後ろ向きで弱い意志が病を寄せ付けるのかも?
それとも怪談話を読んで、悪いモノを呼び込んでしまったのか?
 
胸も心もモヤモヤとしたままなのです。
 



 

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こんなんじゃないけれど [コラム・ぼやき]


 
先日にテレビのドキュメント番組を見ていて思ったのです。
人が成功するときは、自分の望んだ結果ではないのだと。
 
自分で臨んで結果が伴う人種は、唯一がスポーツ選手だけですね。
文藝は特に願った作品で絶望をして、頼まれた軽い仕事で名声を得易いようです。
 
他人の欲する物を与えれば賞賛されます。
自分の物を探そうとすると、逃げて手に入らない。
 
仏教で説かれる宇宙の心理にある通りですね。
合いたい人には、合えない。
合いたくない人に、出会う。
欲しいモノは、手に入らない。
持っている物は、奪われる。
これが4つの苦しみです。
 
ドキュメントで成功者が良く言うのが、他人様の為にです。
清貧の思想や儒教的に判別して気嫌いしそうな言葉ですが、真の意味は違うようです。
 
相手を思ってよりも、自分を捨てた時に成功が舞い込む。
つまり手に握っていた希望を捨てると、開いた手に何かが掴めるのです。
 
これを無私と呼ぶと、説教臭くなります。
欲を捨てると聞けば、道徳かと聞きたくなくなるのです。
 
これを手放したら儲かります、と言われると興味が湧きます。
手放す事に違いが無くても、損だけが想像できるより、儲けの方が魅力的です。
 
社会心理学の実験で、貰うよりも手放す方が3割も心に響くとか。
それくらい人間は損に敏感なのですね。
 
そのように理解して多く手放しましたが、得られたものは少ないです。
パンドラの箱のように手の平に残ったのは、希望だけかもしれない?
 
チョット悲しいのですが、肩の荷が下りた実感はあります。
手荷物が多かったと再確認できました。
 
道に落ちていた物を、何でも拾って歩いた布袋様のズタ袋。
布袋様が行き倒れて亡くなった後、袋の中身を見たら札が一枚だけ残っていたそうです。
 
得てして拾い集めたところで、何も残らないと教えてくれた気がしています。
自分の書きたい作品を書いているうちは、世に出ないのだと考える。
 
この自己否定感は、ホラーよりも怖い予測なのです。
自分はその苦痛に耐えられるのやら?
 




 

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秋のホラー話には? [本・執筆]


 
人間が好むお話しは、意外性が必要です。
予測がつかなくて意外性に富んで、その落差が大きい方が好ましいのです。
それでミステリーやサスペンス、ホラーが好まれます。
 
でも予備知識が無いとワカラナイお話しは敬遠されます。
大昔は分らない事を知る為に本を読んだので、難しい方が有り難かったのです。
それで本を読む事が推奨されて、本読みの人は物知りだと一段高く持ち上げられたのでしょう。
 
今は何でもかんでもスマートホンでネット検索する時代です。
予備知識を求められる行為が嫌悪されます。
それに学習成績優先に価値が求められるので、落ち零れを自覚した瞬間に学習意欲が憎悪に転化されます。
 
そんなことで本読みも減って文芸本は売れず、雑誌や漫画も売れません。
ゲームの世界やファンタジーへ逃避する傾向が強くなって、ゆるキャラが持て囃されます。
そのゆるキャラも乱造されて、人気に陰りが見えて来ました。
こちらの世界にも格差が生じているようです。
 
そんな時こそホラーですね。
人間の根幹を揺るがす恐怖に、時代も世代も関係ありません。
恐くないよとイキガルだけで、心底恐れを抱くのが人間です。
人間の本質は、分らない事が恐いのです。
知識の範囲を超えたら、更に絶望という調味料やトッピングが増されるのです。
 
そんなことで、季節に関わらず恐怖に震えるのでした。
今日もホラー本を貸し出して来て、独り震えていました。
それに朝晩の冷え込みが重なって、心身共に寒いのです。
 
冬のアイスは暖房室で美味しいのですが、秋のホラーは心身が深々まで冷えます。
 
秋の夜長はホラーですね。
 




 

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もったいない言葉 [雑多なこと]


 
得意の怖い系な話題です。
こうした雑ネタを多く仕入れておかないと、作品に幅が出ません。
何事でも下世話で雑談話に使える話題は、書き物語も雑談にも有効ですね。
 
勿体ないと書いてモッタイナイと読みます。
一時期ですがノーベル賞関連で、日本のモッタイナイが注目されました。
あまり最近は、聞かれなくなった言葉です。
 
物の本に寄れば、日本人の根底にモッタイナイ精神があるとか。
これが恐い話系につながるのでありましょうや?
それが言葉の韻を踏むのを好む国民性にあります。
最近ではダジャレや親爺ギャクにつながる伝統芸的な、身体遺伝子や文化遺伝子にまつわる話題なのです。
 
韻を踏む遊びは、高貴なる方々に好まれて和歌へと昇華しました。
江戸時代には俳句になって、庶民の知識層にまで浸透したのです。
江戸後期には季語を用いない川柳になって、世相を風刺する道具にもなりました。
 
問題は中世期の日本です。
大陸から仏教と供に、密教と道教、儒教や朱子学に陽明学も入りました。
呪いの一種は、伝統的に日本に根付いた思想・宗教です。
学実的な体系で陰陽道とか占星術も入ると、知識欲が刺激されて身近な存在になったみたいです。
 
そこでモッタイナイです。
これは裏の意味で、持っていると持っていないの混在させた言葉であるとされるそうです。
持っているけれど持っていない。
持っていないが持っている。
ドチラでも無く、ドチラでもあり、混ざっていなくて交わっている。
曖昧模糊な言葉らしいのです。

モッタイナイをパソコンで変換すると、勿体無いと出て来るほど。
有るけれど無いよと、漢字で表記してしまうのですから。
 
日本人の本質には、白黒着けない文化思想があります。
捨てないけれど持っていたくない。
持っているけれど捨てられない。
断捨離できない状態が、当たり前にあるのです。
 
これが祈りと呪いを混在させてしまう元だそうです。
好きだけれど嫌い、とかにも通じる「どっちなの?」ですね。
 
西洋では白黒決められないのは、幼稚な人物だと考えられます。
日本では割り切る人を、人で無しとか冷たい人と呼び、嫌悪されます。
異なる思想の文化です。
 
ですから西洋のあの世には怪物や魔女が済んで、人間ではありません。
日本では人が死んでから、魔物になったり、生きながら魔道に落ちるし、幽霊や妖怪に変化します。
更に物にさえ魂が宿ると考えるのです。
これは曖昧模糊で適当であり、捉え処が無く矛盾を肯定する考え方です。
だから『無知の知』を提唱するギリシャのソクラテスや、無用の用を唱える中国の老子に人気があります。
西洋では人気が無い人物ですからね。
 
願い事は、恨みつらみで呪うことと表裏一体だと考えます。
神仏には願い事をするな、感謝の言葉を唱えろは、こうした思想らしいですね。
 
願いは恨みつらみである。
恐いと思いませんか?
 



 

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